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日本の登山の歷史

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「人は何故に山に登ってきたか、その発展の歴史」 1、 生活の為の登山―古代     (食料採取として、獣、木の実,山菜、石器の石採取、山への感謝=山は神)   2、 宗教的目的の登山―奈良時代―平安時代以降     (古代は山を神と崇めたが、奈良、平安時代仏教が入り山は修行の場となった) 3、 戦略的、政治的支配の為の登山―戦国時代     (戦いの場として、土地の支配、森林管理として) 4、 薬草採取の為の登山―江戸時代     (医者、学者が高山植物を薬草とし採取、医療、研究) 5、  旅の中の遊びとしての登山―江戸時代~明治時代     (文人墨客、画家、武士、医師、町人等、多くの人々が山を文化として育てた) 6、 科学的調査の為の登山―明治時代      (土地測量、地質、鉱石、動植物、気候等の調査研究) 7、探検、スポーツとしての登山―明治時代~昭和    (未知な山岳を明らかに、教育的スポーツ、人間の限界へのチャレンジ登山家) 8、趣味、自己表現、観光としての登山―現代    (戦後のサラリーマン登山、プロの登山家、中高年登山、あらゆる層が商業化) 西暦 和暦 事  項 652 白雉3年 ・飯豊山:役の小角と唐僧知道和尚により開山と伝えられる。 701 天宝1年 ・佐伯有頼(ありより:越中守佐伯の嫡子)が逃げた父の鷹を追いかけて深山に入っていくと、熊に出会い弓を射る。矢を受けた熊は血を流しながら洞窟に入り、有頼もその後を追うと、そこには胸に矢の刺さった阿弥陀如来が顕れ、有頼に対し立山を開くようにと告げたという。その洞窟が立山室堂の「玉殿岩屋」。これが立山の開山と伝えられる。出家し名を慈興に改め、立山開山の為に尽力。 717 養老元年 ・泰澄上人(越前国麻生津:福井市南部の出身):白山を開山 782 天応2年 ・勝道上人(下野国:栃木県の南高岡:現真岡市出身):男体山を開山 784 延暦3年

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